社会不適強者

雑記。

最後の出勤

3月31日、新卒で入った会社での最後の出勤を終えた。

 

まだ退職から1週間も経っていないが、本当に「何もしなくていい1日」の幸せを噛みしめている。

 

就職して以来手をつけていなかった漫画を読んだり、

久しぶりに古着屋を巡ったり、

プロ野球の結果に一喜一憂したり、

深夜までくだらない映画を観て一人笑いをしたり。

 

やっと「生きている」ということを実感している。

 

家と職場との往復、

休日も仕事のことで頭が一杯だった日々、

 

あの頃は「生きている」と言われても何の実感もなかった。

 

先のことは何も決まっておらず収入がゼロなのも不安だが

しばらくは束の間のモラトリアムで英気を養いたいと思う。

 

 

もう辞めた以上は部外者みたいなもんなので、

「社名以外なら言いたい放題言える」という今の状況に内心ワクワクしているような今の心境。

落ち着いたらyoutubeにでも載せて華麗なる復讐劇を果たそうと思う。

 

 

とにかく、

ブラック企業は最後までブラック企業だった。

 

 

最後の出勤日、俺は一応「社会人としての常識」を気にして

1年間散々な目に遭わせてきた職場の人間達に挨拶回りをした。

 

来月から収入ゼロという状況、百貨店で1万円ほどで買った菓子折りを手に、

役職の高い者から先に回っていく。

 

この1年間ずっとそうだったが、上司のデスクに向かうのは本当に恐い。

たとえミスを犯した場合でなくとも、自然と足がすくんでくる。

 

脳内ではルビサファの「戦闘!してんのう」が流れている。

恐れながらも、俺は上司に声をかけた。

 

「今までお世話になりました。これ、つまらないものですが…」

 

俺がそう言い終わらない内に、上司は無言で菓子をヒョイと取った。

 

『ところでさぁ、』

 

上司は菓子の袋を開けながら口を開いた。

 

『来年度の定例会議の資料やけど、何個か項目増やしたいから早速作って』

そう言って殴り書きで書かれたメモを渡された。

資料に加えたい項目内容のようだ。

 

「はい...お世話になりました。すぐ取り掛かります」

 

仕事を振られてしまった。

とりあえずメモを自分のデスクに置き、挨拶回りを続けた。

 

やはり年度末は忙しく、まともに受け取ってくれる上司はいなかった。

 

『ん。』とだけ言ってこちらを見ることもなく受け取る者、

『やっすい菓子やのー』と文句を言いながら受け取る者。

 

まぁこれはこれでありがたかった。

最後の最後で優しさを見せられては、裏切られたような気分になる。

 

いくつか菓子が余ったので、派遣の事務社員にも渡すことにした。

 

ブラック企業特有なのかは知らないが、非正規社員相手の方が話しやすいのはよくあることだと思う。

 

『こんなとこ辞めて正解やと思うよ。次の所でも頑張って』

『まともな子ほど早いねん、ここは。君やったらどこでも通用するわ』

 

建前であっても暖かい言葉は嬉しい。

ただやはり、皆本当にこういうのは「慣れてる」んだなと感じた。

 

過去5年間での新卒離職率100%。

同期もすでに4人辞めている。

聞けば自分の前任だった新卒はノイローゼで退職したという。

 

「まともな子ほど早いねん」という言葉を必死に脳内で何度も再生しながら、

俺はデスクに戻った。

 

 

上司に渡されたメモを改めて見る。

パっと見ただけで、恐らく1日で終わるような量ではないと確信する。

しかし今日は最後の出勤日。

つまり何としても今日中に済ませなければならない。

 

本当は他の事務所の社員にも落ち着いて挨拶をするべきだと思ったが、

俺は振られた仕事を優先することにした。

 

 

たとえ最終出勤日であったとしても、新入社員であることには変わりはない。

当然、日々こなしてきた「新人がやるべき」とされる業務も並行される。

 

お昼のお茶出し、訪問営業の対応、現場の責任管理。

 

時間と雑務と戦いながら必死に資料を作成していく。

上司からのメモには「社内のトイレ環境改善」に関する項目まであり、

各階のトイレの間取りと設備、清掃員の作業工程、

その時点での臭いまで記録してまとめるよう指示されていた。

 

「今日で辞める会社のトイレの臭い」まで調べないといけないのか、と。

 

在籍している以上はどんな仕事を全うするだけ。

そう自分に言い聞かせて俺は全12フロアのトイレを走り回った。

(女子トイレは清掃のおばちゃんに依頼した)

 

一体何をしているんだろう、

これをすることで何になるんだろう、

トイレの臭いを記録している最中、そんな思いが常に頭を支配していた。

 

「今日で最後やから」。

そう声に出しながら、ひたすら記録を続けた。

 

 

トイレ項目のデータ収集を済ませ、事務所へ戻り資料作成を続けた。

まだ着手していない項目もあった為、手汗が止まらなかった。

 

 

時刻は午後15時。

本来の定時であれば後3時間で解放される。

残っている作業量でいくと、どうやら最終日も残業のようだ。

 

 

(ビーーッ!!ビーーッ!)

 

お局のデスク横に置いてある加湿器が水補充のアラームを鳴らした。

水10リットルを消費する大型の加湿器である。

 

『うわ~。鳴ってもうた』

 

お局が補充用のタンクを取り出しながら、わざわざ俺に届くような大声で言う。

 

こういう時は決まって新入社員が補充に行かされるのだ。

もちろんこの日も例外ではない。

 

普段であれば「あ、自分が行きますよ」と声をかけ

お局がこちらも見ずに『ほんま?助かるわ~』と言うやり取りが定期化しているが、

もうこの日は何も言う気になれなかった。

 

無言で補充タンクを受け取る。

お局も『ほい』とだけ言い、手渡す。

 

10リットルの水を入れるのだから、それなりに時間がかかる。

(しかも結構重い...)

 

給湯室の蛇口を捻り、タンクに溜まっていく水を見つめる。

お局が個人で購入したという大型の加湿器。

自分のデスクまで届いているのかも不明な蒸気を出す加湿器。

 

「今日で最後やから」。

そう声に出し、無言で水を入れ続けた。

 

 

時刻は18時。定時だ。

本来であればここで「それではお世話になりましたクソミジンコ野郎ども」と

捨て台詞を吐いて解放されるはずだが、案の定作業は終わっていない。

俺は黙って作業を続けた。

 

とうとうこの1年間、定時丁度で帰れた日はなかった。

 

今日で退職する俺を横目に、

仕事を終えた上司達が次々と帰っていく。

 

『ほな〇〇君元気でな~。資料は済んだら机に置いといて』

 

俺に仕事を振った上司が先に帰った。

もう何も言うまい。

 

 

俺が資料を作り終えたのは定時から3時間後だった。

もちろん(もちろんじゃないが)、残業代は出ない。

 

「はぁ。」

 

大きなため息が出てしまった。

 

周りを見渡すとまだ残業している者も何人かいた。

 

ゆっくりと帰宅の準備を済ませ、

残っている社員に挨拶をし、事務所を出てエレベーターに乗った。

 

エレベーターの壁には「4/1 入社式」と書かれたポスターが貼られている。

「...かわいそうに」と思わず声が出た。

 

可哀そうに。

 

これが俺が会社で口にした最後の言葉となった。

 

 

 

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というわけで、こんな感じで解放されました。

 

とにかく今は時間がたっぷりあるので

退職迷っている方の愚痴を聞いたり、就活生の相談も受けたりしています。

僕から言えるのは、

1年目で辞めたいと思うなら間違いなくいずれ辞めるので

手遅れにならない内に辞めたほうがいい

ということです。

 

よく退職を「逃げ」だとお考えの方がおられますが、

退職は「未来への投資」です。

 

現状のクソ会社を抜けて、

「別の会社で幸せに働く」なり「不労所得の道に進む」なり、

新しい自分の生き方を掴むための投資だと考えて下さい。

 

もし本気で「再就職したくない」、「働くぐらいなら死んでやる」という方がいましたら、一緒に無職村について考えませんか。

 

まとまりの無い文章である上に長くなりましたが、

わざわざ最後までページを離れず読んで頂きありがとうございました。

 

全国から無職を集めて無職だけの村を作りたい人生だった

「あいりん地区」という地域をご存じでしょうか。

 

大阪市西成区に存在する日本有数のアンダーグラウンド文化が形成された地域で、

かつて日本全国から職を求めた失業者やホームレスが集まる「日雇い労働者の町」と呼ばれていました。

 

実は僕も16歳の頃、くだらない理由で家を飛び出し、1ヶ月ほどこの町で過ごした経験があります。

 

このあいりん地区には通称「センター」と呼ばれる職業紹介施設があり、

そこでは簡単な食事や寝床が安価で提供され、求職者たちの憩いの場所となっていました。

 

求職者たちは早朝からこのセンターの前に陣取り、その日の仕事を探すという生活です。

(厳密に言うと、センターで床につくお金すらないホームレスが段ボールを敷いて寝泊りしているケースが多かった)

 

新参者の僕も右に倣い、拾ってきた段ボールを敷き、リュックを枕にして寝泊りをしていました。

 

朝日が昇り始める頃になると、職探しが始まります。

まだセンターは開放されていませんが、この時間帯には怪しげなワゴン車が付近を巡回し、"使えそうなホームレス"に直接仕事を持ちかけるという光景が見られます。

 

僕も一度だけこのワゴン車に乗り、得体のしれない液体の入ったポリタンクを搬入する仕事をしたことがありました。(遠い目)

 

 

…と、こうした地域が今の日本に存在しているんですね。

 

いきなりエグい話で始まってしまい恐縮です。

結局僕は数回日雇い労働をしたのち、ワゴン車を装った保健所職員に保護され実家に帰りました。

短い間でしたが、あの時の「人生の終点感」は凄まじいものでした。

 

同時に、

周囲は皆自分と同じ無職の人間ということもあり

何の負い目もなく過ごせたあの場所は言い知れぬ居心地の良さすら感じたんですよね。

(Twitterの退職界隈に通ずるものがあります)

 

 

退職を伝えた今になって

急にこの頃の記憶を思い出すようになりました。

残り1ヶ月で無職になるという事実に、

当時触れた「人生の終点感」を重ねているのでしょうか。

 

 

来月から自分もあの頃のホームレスと同じく求職者となります。それから先のことは決めていません。

 

もちろん働く意思はありますが、「会社」という存在にトラウマを植え付けられているのも事実です。

 

世の中では求人要項の詐欺などが普通に行われており(今職で体験済み)、社内パワハラの存在や実際の労働の過酷さは入社するまで分かりません。

 

戦争で例えるならば、私は今地雷を踏んで片足を失っているような状態です。

 

再び転職活動をするならば、求人要項という地雷原を通る際には人一倍神経を使う必要があります。

(次に踏んだら…もう完全に両足失って働けなくなりますね)

 

 

なんというか、

なぜそうまでして働く必要があるんでしょうね。

 

毎日毎日同じ時間に起きて

同じ時間に、同じ場所に出社し、

同じような上司と、同じような仕事をし、

同じようにミスを詰められる。

 

そんな生活をあと40年以上続ける人生。

果たしてそれを「人の生」と呼べるのでしょうか。

 

「どうせなら、やりたいことを仕事にしたい…」と思っても、敷居の高い資格や技術が求められるのが事実です。

 

書店で参考書を手に取ろうにも

心の中にいるもう一人の自分が「本当にこんなことをしててええんか…?」と囁いてきます。

 

このように1人だと色々なことを考えてしまい、

その結果「あーもうええわ。働きたくない。」と

考えることを放棄するお決まりのパターンです。

 

お恥ずかしい話ですが、私は友達が非常に少ないです。

就職をきっかけに徐々にかつての友人達はフェードアウトし、その後は楽しそうなホワイト企業ライフを送る友人達の投稿を見るのに耐えきれず、人間関係を完全にリセットしてしまいました。

 

そんな私にとって愚痴の相手はTwitterだけです。

昨日も1人のフォロワーと深夜0時から朝の7時まで電話をしました。

 

彼も鬱で仕事を退職し、社会人アレルギーを抱いたまま生産性のない日々を送っているそうです。

「自分のやりたいことも分からず、生活費も厳しくなってきたので自殺を考えている」と。

 

きっと世の中には同じような人が大勢いるんだろうと思います。

将来を決められず、どうすればよいか分からない人達。

 

僕はもう、本当に

「無職村」が必要なんじゃないかとマジに考えています。

 

全国から同じ苦悩を抱える無職が集う、無職の無職による無職のための村「無職村」。

 

冒頭で話した西成あいりん地区じゃないですけど、

やはり自分と同じような境遇の人と過ごすのは

精神衛生において計り知れない安心感を与えてくれるんですよね。

 

このTwitterの仕事辞めたい界隈にしてもそうです。

ひとえに界隈と区分しても、人によって辞めたい度合いは異なります。

 

実際に限界を迎えて退職された方もいれば、

「いや、私は愚痴を書きたいだけで…」という方、

「仕事は辛いけど定時後は恋人の惚気ツイートしまくりますっ!笑」という方、

↑(キツいのでミュートしてますけど)

「そこまで辛くないけど何となく!」という方など、本当に色んな人がいるわけで。

 

 

退職した身としては退職した人のツイートが気になりますし、私生活の自由がない人は恋人との惚気ツイートなんて見たくないでしょうし、

自然と人は「同じ階層」を求めるようになります。

 

そんな中で

社会復帰の意思はあるものの勇気がない方や、

「個人で稼ぎたいけど1人じゃ何も分からん!」という方、

「純粋に独り無職でいるのが怖い。」という方のためのセーフティネットとして「無職村」があればいいなと。

いわば無職の社会不適合者のための互助会のようなものですね。

 

ネットワーク上、あるいはもう実際にどこかアパートの部屋を借りて「無職だけが入ることを許される」みたいな。

 

そこで簡単な内職をしながら、皆それぞれのやりたいことについて考える。

 

ある働きたくない人達はyoutuberとして成功するための意見を交換し合ったり、

 

また別の働きたくない人達はアフィやFXの情報勉強会を行ったり(不労所得サークル的な)、

 

あるいは働きたい人は転職活動の拠点、資格の勉強会の場として使うなど。

 

 

1人で悩んで何が正解か分からないまま堂々巡りになってしまうのは最も避けるべき道だと思います。

人間5人でも集まれば何か出来るはずです。

 

「ガチの無職の人達の共同生活を24時間垂れ流すチャンネルとかあったら観たいです、、」という声も頂いていますし。

 

とにかく本当に何も決まらず樹海で首吊るぐらいなら、集まって何か起こしませんか?

(というか普通に樹海行ってみたいな。森林浴として。)

 

こんな絵空事のような妄想を真剣に語ってしまう程度には私の頭も相当追い込まれてますね。

 

最も無職村の存在を望んでいるのは、

間違いなく私自身だと思います。

 

未だにふと、

全国から働きたくない人100人集めて

1人あたりTwitterアカウント10個作って

ひたすら「前○友作の1億円プレゼント懸賞」に

応募しまくれば希望あるんちゃうか…?

とか考えてしまいます。どんだけ社会に不適な者やねんと。

 

 

もう今の時代において

興味のない業界で嫌味な上司に気を遣って、

心臓を削りながら働くお金の稼ぎ方などしなくていいんじゃないかなーと。

(実際に「じゃあ具体的にどう稼ぐねん?」と聞かれると即答できないのは致命的ですが…)

 

※追記

実は岡山県の「佐柳島」という離島に土地の権利を持っていることが発覚しました。

将来はここに無職村のベース基地を設立したいと考えております。

無職村を動画にしてみました。

https://youtu.be/8qHyjfR1Qws

 

読んで頂き、ありがとうございました。

 

退職を伝えた日

2021年2月24日

 

昨年4月に入社し、社会人生活もいよいよ1周年を迎えようとしている。


春には後輩社員も入ってくるのだから、時が過ぎるのは早い。

 

自分はどれだけ成長したのか。

社会人になって何を得たのか。

人生は順風満帆なのだろうか。

 


実際には何も成長していないし、

得るものは一切無く、

失ったものは計り知れない。

 

自信。希望。時間。夢。笑顔。恋人。友人。


去年の今頃は揃っていた全てが、

この1年間でどこかへ消えてしまった。


常に頭の中では仕事への不安と恐怖がチラついている。

令和3年という新時代感溢れる今ですら、

1日最低8時間の労働を週に5日も強制される毎日。


仕事をしている最中は、例えるなら水中に顔を無理やり突っ込んでいるような感覚。

周りの見えない不安、落ち着いて呼吸をすることもままならない。


やっとの思いで迎えた休日であっても、「仕事」という暗い海を漂っていることには変わりない。

海面から顔を出してるだけ。


「ぷはーっ」と大きく息を吸い込み、

また仕事という海に顔を突っ込む。


こんな生活をあと40年以上も続ける自信が僕にはなかった。




 

 

 

こんにちは。

というわけで、退職伝えました。

 

やっと言えました。

長かった。本当に長すぎた。

 

一番古い記憶を遡ると、

去年の8月には転職サイトに登録をしていたので

実に7ヶ月言えずに暖めてきたことになります。


半年もの間、「明日こそ辞めるって言うたるねん…」と思いながら毎日を過ごしてました。

 

とりあえず、ホッとしてます。


ものすごい大きいガン摘出したような気分。

 

これ、今働いてる人は分かってくれると思うんですけど、

社会人になってから「人生」を歩んでいる自覚が全くなかったんですね。


ホンマになんと言うか、「働くために生きている」ような感覚で。

「大学卒業した瞬間から人生は終わる」みたいな。


退職を伝えてから

そういうアレが急に無くなりました。

 


退職考えてる方、正直に話した方がいいと思います。


前にツイートでも書きましたが、

「いつかマシになるかも…」とズルズル続けてるのは時間と寿命を無駄にしています。

なりません、きっと。



話してしまえばその瞬間から、

それまで必死に耐えてきた苦悩が

ホンマにアホらしくなります。

 


辞めることを話すのは当然簡単なことじゃないと思います。

この界隈の方々も、毎日そういった思いの中戦ってらっしゃいます。


僕も7ヵ月かかりました。

しかも最後はもう、勢いに任せた面もあります。

 

先が見えなくてズルズル引き伸ばしている人の背中を押すわけではないですが、

少しでもそういった方の情報提供になればと思い、

退職を伝えた際の流れ と この先考えていること

この2つについて書いてみます。

(まだ前置きでした。すみません)

 

 

7ヶ月も言い出せなかった自分ですが、

行動を起こしたのはホント、

衝動的なものでした。


その日の朝起きてすぐに

「あっ。今日言わな死んでまう気がする」と思ったんです、マジで。


その日急にプツンと切れたというか、なんか吹っ切れたんやと思います。

 

いつも通り7時40分に事務所に出社して、

すぐに部長の机にメモを置いた。

『〇〇部長

 お話したいことがあります。15時からお時間を頂けますでしょうか』。

 

僕の会社、過去3年の新卒離職率100%なんですよ。

その年入った新人が、毎年必ず辞めてるんです。

部長がメモ見ても何も言うてこなかったのは、多分察してたんちゃうかなーと。

 


メモ書きした15時まで、無心で普段通り業務についた。

普段通り怒られ、普段通りまともな昼飯も食べられなかった。

そして15時。いよいよ審判の時きました。

 

僕が声をかけるよりも早く部長から『ほな行こか』と、

会議室に呼ばれた。

 

カラオケボックスぐらいの狭い会議室で、

机を挟んで部長と対面した。

 

多分入社してから初めてだったと思う、部長とちゃんと2人で話すのは。

もう部屋に入った時点で心臓がバクバク。

完全に怒られる前の空気に満ちていた。

 

『それで、なんなん?』

貧乏ゆすりをしながら、イラついた口調で部長が口を開く。

睨みつけるような視線。

明らかに僕がこれから何を話すのか、大体のことは分かっているような態度だった。

 

僕は退職したい旨を打ち明けた。

 

『あぁ、ホンマかー。それは、なんで?』

 

ここで正直に「仕事がキツいからです」と答えてしまえば、

待遇を変えるだの上手い方向に話を運ばれる予感がした。

 

僕は咄嗟に、

「他にやりたい仕事が見つかったんです。もう次も決まってます」

と話した。

 

部長の貧乏ゆすりが一層激しさを増していく。

 

「年明け前からずっと悩んでおり、年齢的にも20代の今しか挑戦できないと思ったんです。勝手な都合で申し訳ありません。」

 

『その、次のやりたい仕事、受かるまで続けるんは無理なん?』

 

部長の貧乏ゆすりが残像を残すほど早くなった。

 

「もう採用合格通知も頂いており、東京の会社なので自分も早く準備をしたいと考え…」

 

僕が言い終わる前に、部長の膝から煙が出た(ように見えた)

同時に、それまでのぼやくような質問とは一変して、凄まじい怒号が響いた。

 

『お前何勝手に面接受け取んねんゴラァ!!!!!』

 

僕はただ、「すみません」「申し訳ありません」としか返せなかった。

 

『もう来年度の予算もなぁ、お前おる予定で組んどんねんアホか!!!!』

 

狭い会議室のせいか、声が何重にも反響する。

目の前には部長一人のはずが、まるで数人の上司から罵声を浴びているような恐怖。

 

『お前すいませんゆうて、それだけかえコラァ!!!!』

 

もうマジで意識飛ぶかと思った。

自分の父親よりも年上の人間が、すごい剣幕で怒鳴っている。

気づいたら普通に泣いてた。

 

そこから数分、沈黙が流れた。

正確には、「バサバサバサァ!!!」という部長の貧乏ゆすりの音と、

涙をボロボロ垂らす僕の鼻をすする音だけが響く。

 

『チッ…ほんまに』

 

あまりにもドン引きするぐらい涙を流す僕を見て冷めたのか、

部長が口を開いた。

 

『とりあえず、わかったわ』

 

「ありがとうございます…!」

 

なんで礼を言わないといけないのか、今でこそそう思うが、

この時はやっとこの空間から解放されるという喜びに、反射的に感謝してしまった。

 

『もう来月の出社表作ってもうてるから、来月末な』

『今月中に人事にも話しとけ』

そう言って部長は会議室を静かに出て行った。

 

あれよあれよと事が進んでいく。

とにかく僕は「やっと言えた…」という安堵感で頭が一杯だった。

 

涙と鼻水を拭いて、何事もなかったかのように事務所に戻る。

いつもと変わらないギスギスした事務所。

いつもと変わらない無表情でネットサーフィンをしている部長。

 

結局この日は仕事が溜まったせいで人事には行けなかったが、

何事もなく20時過ぎに会社を出た。

 

この地獄のような日々にもようやくゴールが見えた。

今まで堪えてたのは誰のためだったのだろうか。

あと1ヶ月の辛抱か。

「あ、そう言えば今日何も食べてないやんけ…」

 

僕は帰り道のローソンで唐揚げとストロングZEROを買って食べた。

久しぶりに、何かを食べて心から「美味しい」と思えた。

 

酔った勢いで何度もガッツポーズをした。一人で。

 

 

 

長くなりましたが、僕が退職を伝えた日はこんな感じでした。

本当はこれから考えていることも書こうと思ったのですが、

下書きもせず書いている内に長くなってしまったので

後日改めて別の記事で話したいと思います。

 

駄文失礼いたしました。